こんにちは。以前からブログを見てくださってる方は経過も含めご存じだと思いますが
私は現在休職中です。
原因は直属の上司とうまくやっていけなかったこと。毎日のように叱られ、怒鳴られ、段々と心身が消耗していきました。
コロナ渦のリモートで対面での会話少なく、電話やメールでの叱責が多かったことはむしろ大きなダメージを与えた。
次第に体調不良が増え、高熱で入院やストレス性の腸炎で救急搬送などが立て続けに起こるようになった。
休みが多くなった罪悪感で気持ちはますます焦る。
なんとか会社に行っても頭がぼーっとして働かず、仕事にならない。
上司の声を聞くだけで体が震え、自然に涙があふれてしまう。
泣きながら仕事をするなんて、迷惑以外の何物でもなかったと思う。
準備していたプレゼンも、見かねた課長(上司の上の立場の方)から「今の状態で大勢の前に立つのは厳しいと思う。代わってもらった方がいい。」ストップをかけられてしまった。自覚があったため、おとなしく頷くしかなかった。
産業医の勧めで受診した心療内科で休職の診断をされ、今に至ります。
当時のことは今でも時々思い出す。
上司に対する恐怖感
あの時頑張れなかった自分を責める気持ち仕事をやりとげられなかった悔しさ
あの時どうしていればよかったのだろうという困惑
陰では上司は「もし彼女にやる気がなかったら厳しくしない。むしろ優しくする」「だいぶ良くなった」と多少は認めてくれていたと第三者から聞いたこともあり
私は結局期待に応えられず、仕事を投げ出してしまったという罪悪感
と同時に多少は認めてくれていたなら、少しは直接ほめてくれていれば大分気持ちは違ったのにと、
彼をうらめしく思う気持ち
休職したことは後悔していない。
当時の自分の状態はぎりぎりで休まないと周りに迷惑をかけるのはもちろん、自分自身が限界を超えてしまうと思ったから
自分なりに精一杯やっていた、やろうとしていたことは自信をもてるから。。
当時のことを思い出すとやっぱり辛いが、それでももう一度会社に戻りたい。
旦那が言うように「経済的に助かるから」という理由はもちろんあるが
私は精神的にも会社でもう一度働きたい。
私は会社も仕事も嫌いではなかった。
3年目で上司になった当時の課長も厳しく、沢山しかられたが、決して仕事の覚えが良くない手のかかる私を見捨てず、根気よく指導してくれた。
彼の異動が決まった時、私の目からは自然と悲しみの涙があふれた。
もっと教えてもらいたかった。と泣く私に当時彼はいってくれた。
「俺に叱られてもめげずに立ち上がり、決してあきらめなった。お前なら大丈夫。きっとこれからどんどん成長していける。」その言葉はとても嬉しくて私の糧になっていた。
当時の課長だけでなく、職場の人間関係は決して悪くなかった。
入社当時から公私ともに良くしてくれ、結婚式にも出てくれた私の第2のお母さん的存在の憧れの先輩の存在
私が思い詰めていた休職寸前を思い出すと、心配して声をかけてくれる方も何人もいた。
また、戻れるだろうか。不妊治療をすると決め、休職を伸ばしているが
今の専業主婦生活、旦那のために家事をすることも決して嫌いではないが
私はもう一度社会に出たい。
子供が欲しい、お母さんになりたいという気持ちとの葛藤もあり時折悩むのである。